ユビキタスとは、なんだったのか?


2000年を過ぎたころ、ユビキタス時代が来る、などというかんじで
ユビキタス」というキーワードがもてはやされてましたが、
最近はあまり聞かなくなったなぁ、と、ふと思ったので考えをまとめてみました。


ユビキタスとは、ラテン語で「神はあまねく存在する」という意味で、
当時、同じように流行つつあった「グリッドコンピューティング」とからめ、
ITシステムの恩恵を、その先にあるコンピュータを意識することなく容易に享受できる、
そんな社会をあらわす用語として使われてきました。


たとえば、カードをタッチするだけで電子マネーを使って物を購入できたり、
家に居なくても、電化製品が自動でいろんなことをしてくれたり、
携帯端末から有用な情報が簡単に取り出せたり、・・・なんてイメージが
ユビキタス化された場合の分かりやすい社会像だったわけですが、
皆さんご存知のとおり、それらの多くはすでに実現されてしまいました。
テレビのデジタル化も、広義においてはユビキタス化の結果のひとつでしょう。


個人的には、介護を中心としたホスピタリティ分野におけるユビキタス化が、
やや遅れているという気もするのですが、
いずれにせよ、それらの恩恵が、「あたりまえ」のものになってしまったため、
ユビキタス」という概念そのものの重要性は薄くなり、
キーワードとしても使われなくなってしまった、というのがコレまでの経緯かと思います。


ユビキタス」を意味のないバズワード、と見る向きもあるようですが、
少なくとも、よりよいIT社会を構築するための共通イメージの牽引者、
という役割は担っていたというのが個人的な考えです。
悪く言ってしまえば「これまでありがとう、お役御免です」というかんじでしょうか。


現在は「クラウドコンピューティング」というキーワードがはやっていますが、
これはメタ的にいうとユビキタスの下位概念ですね。
ぼんやりとしたイメージの「神」という概念から、より具体的な「自然(雲)」という概念が
生み出されたことと比較すると面白そうです。


個人的には、ユビキタスというキーワードがもてはやされたひとつの理由であった
デジタルディバイド(コレも死語ですね)が、いかに解決されていくのか、
介護や公共性における意義、なんてあたりがやっぱり気にはなっているのですが、
まあ、そのあたりGoogoleさんに期待するだけでなく、
自分でもちゃんと取り組めよ、ってことかもしれません。


と、まあ簡単に私なりの「ユビキタス」への見解をまとめてみましたが、
実際の定義ともそんなにかけ離れてはいないと思います。


ホントかな。ホントだよ。
うーそついたらーハリセンボン飲ーます!
ユビキッタッス。


ということで、嘘をつかない、Curlおじさんのブログでした。